アジェンダ設定力--靖国問題に寄せて [社会]
「表現の自由」は無制限か?
反発する向きもあるようだが,「世に倦む日日」の論考には鋭いものがある.映画「靖国」上映問題をめぐる記事「『靖国』と表現の自由の逆説 - 石井紘基と公共の福祉の規制」もその一つだ.この記事では,「表現の自由」の論理でこの問題を扱うだけでは不十分であるとして,ドイツの基本法第2条「何人も、他人の権利を侵害せず、かつ憲法的秩序または道徳律に違反しない限り、自らの人格の自由な発展を求める権利を有する」を引用している[註1].ドイツはこの「憲法的秩序または道徳律に違反しない限り」という制限のおかげで,90年代初めに極右ネオナチが台頭した時,その「イデオロギーの興隆と拡延をよく阻止した」と述べている.そしてこの長い記事を,「『表現の自由』の論理は、いずれ遠くない時期に右翼[註2]に逆用されるだろう。同じ論法で逆に切り返される」と締めくくっている.つまり「表現の自由」だけを全面に立てて上映妨害に対処するだけでは,同じ「自由」で靖国派の言説の跋扈に見舞われるだろうというのだ.
ここには非常に重要な問題点の指摘があると思う.私なりにこれを解釈ないし発展させれば,「表現の自由」を盾に映画「靖国」上映を擁護することは,それ自体当然で重要だが,それだけでは「防衛」の範囲を出ない.すなわち「攻撃」性がないのだ.つまり護憲派(現憲法にとっての体制派)が,靖国派(すなわち反体制派)に対して,自らの陣地を拡大しようという勢いがない.護憲派がやるべきは,中立的とされるこの映画を超えて,靖国神社と靖国派が現憲法にとって許されざる「異端」の存在であることを天下に明らかにすることだ.
応援のクリック歓迎 (1日1回まで)
違憲の存在としての靖国
この国の平和は,アジア太平洋戦争というその史上最悪の愚行を経て,それによる膨大な犠牲の上に築かれている.しかしこの愚行は決して「終わった」ことではなく,再現可能なのだ.したがってそれを阻止することが現憲法の最大の命題となっており,政府と国民の使命であろう.逆に,愚行再現のための最大・最強のイデオロギー装置が「靖国」である.すなわち,この国の平和に対する最大の脅威は実は靖国である.
「言論・表現の自由」が,法的にも決して無制限の自由ではないということは,例えば名誉毀損やプライバシー侵害が取り締まりの対象であることからも明らかだ.同様に「平和に対する最大の脅威」となる言説,つまり「靖国」も当然取り締まりの対象になるとも考えられるし,これが「世に倦む日日」の意見かも知れない.もちろんそのような,内容・実質を明確に限定した違法化(ヨーロッパにおけるナチズムやカギ十字の違法化のように)がコンセンサスとして成立すればそれに越したことはない.しかし実際にこれを試みようとしたとき,「両刃の剣」として,あるいは拡大解釈などで制限が普遍的な自由にまで及ぶ危険性も大きい.
靖国違法化の是非はともかく,「靖国」が現憲法に敵対する存在であることを明らかにする活動には何の問題もないし,大いにやらなければならない.言い換えれば,今回の問題で,「上映は是か非か」という問題設定を「靖国は是か非か」という問いかけに変換していかなければならない.
アジェンダ設定力こそが重要
このような,問題設定の内容そのものを発議し普及させる力こそ重要なのだ.「相手の土俵に乗ってしまう」とよく言うが,その逆である.まずは相手の土俵で戦い始めざるを得ないかも知れないが,その土俵自体を問題にし,新しい土俵に相手を引き込むようにしなければならない.このようなことを「アジェンダ・セッティング」というが,ここにこそ最も思考力を使わなければならない.
「映画『靖国』は是か非か」と「靖国神社の存在と活動は合法か否か」のどちらを社会がアジェンダと認めるかで,この国のイデオロギー・シーンは全く違ってくる.個別のアジェンダ内での議論に勝つことよりも,どちらを主たるアジェンダとして社会に認めさせるかの争いに勝つことこそがより優先度が高い.
蛇足だが,「世に倦む日日」のチベット問題での論考はあまり賛成できない.余りに中国寄りで,事大主義的な印象さえ受ける.
-------------
[註1] むしろ第5条第2項の「一般法律の規定・・・によって、制限される」ではないかとも思われるが・・・.
[註2] (引用者註) ここでは「極右」という言葉が適切と思う.「右翼」は尊敬すべきところも持った人々に対して使いたい.
反発する向きもあるようだが,「世に倦む日日」の論考には鋭いものがある.映画「靖国」上映問題をめぐる記事「『靖国』と表現の自由の逆説 - 石井紘基と公共の福祉の規制」もその一つだ.この記事では,「表現の自由」の論理でこの問題を扱うだけでは不十分であるとして,ドイツの基本法第2条「何人も、他人の権利を侵害せず、かつ憲法的秩序または道徳律に違反しない限り、自らの人格の自由な発展を求める権利を有する」を引用している[註1].ドイツはこの「憲法的秩序または道徳律に違反しない限り」という制限のおかげで,90年代初めに極右ネオナチが台頭した時,その「イデオロギーの興隆と拡延をよく阻止した」と述べている.そしてこの長い記事を,「『表現の自由』の論理は、いずれ遠くない時期に右翼[註2]に逆用されるだろう。同じ論法で逆に切り返される」と締めくくっている.つまり「表現の自由」だけを全面に立てて上映妨害に対処するだけでは,同じ「自由」で靖国派の言説の跋扈に見舞われるだろうというのだ.
ここには非常に重要な問題点の指摘があると思う.私なりにこれを解釈ないし発展させれば,「表現の自由」を盾に映画「靖国」上映を擁護することは,それ自体当然で重要だが,それだけでは「防衛」の範囲を出ない.すなわち「攻撃」性がないのだ.つまり護憲派(現憲法にとっての体制派)が,靖国派(すなわち反体制派)に対して,自らの陣地を拡大しようという勢いがない.護憲派がやるべきは,中立的とされるこの映画を超えて,靖国神社と靖国派が現憲法にとって許されざる「異端」の存在であることを天下に明らかにすることだ.
応援のクリック歓迎 (1日1回まで)

違憲の存在としての靖国
この国の平和は,アジア太平洋戦争というその史上最悪の愚行を経て,それによる膨大な犠牲の上に築かれている.しかしこの愚行は決して「終わった」ことではなく,再現可能なのだ.したがってそれを阻止することが現憲法の最大の命題となっており,政府と国民の使命であろう.逆に,愚行再現のための最大・最強のイデオロギー装置が「靖国」である.すなわち,この国の平和に対する最大の脅威は実は靖国である.
「言論・表現の自由」が,法的にも決して無制限の自由ではないということは,例えば名誉毀損やプライバシー侵害が取り締まりの対象であることからも明らかだ.同様に「平和に対する最大の脅威」となる言説,つまり「靖国」も当然取り締まりの対象になるとも考えられるし,これが「世に倦む日日」の意見かも知れない.もちろんそのような,内容・実質を明確に限定した違法化(ヨーロッパにおけるナチズムやカギ十字の違法化のように)がコンセンサスとして成立すればそれに越したことはない.しかし実際にこれを試みようとしたとき,「両刃の剣」として,あるいは拡大解釈などで制限が普遍的な自由にまで及ぶ危険性も大きい.
靖国違法化の是非はともかく,「靖国」が現憲法に敵対する存在であることを明らかにする活動には何の問題もないし,大いにやらなければならない.言い換えれば,今回の問題で,「上映は是か非か」という問題設定を「靖国は是か非か」という問いかけに変換していかなければならない.
アジェンダ設定力こそが重要
このような,問題設定の内容そのものを発議し普及させる力こそ重要なのだ.「相手の土俵に乗ってしまう」とよく言うが,その逆である.まずは相手の土俵で戦い始めざるを得ないかも知れないが,その土俵自体を問題にし,新しい土俵に相手を引き込むようにしなければならない.このようなことを「アジェンダ・セッティング」というが,ここにこそ最も思考力を使わなければならない.
「映画『靖国』は是か非か」と「靖国神社の存在と活動は合法か否か」のどちらを社会がアジェンダと認めるかで,この国のイデオロギー・シーンは全く違ってくる.個別のアジェンダ内での議論に勝つことよりも,どちらを主たるアジェンダとして社会に認めさせるかの争いに勝つことこそがより優先度が高い.
蛇足だが,「世に倦む日日」のチベット問題での論考はあまり賛成できない.余りに中国寄りで,事大主義的な印象さえ受ける.
-------------
[註1] むしろ第5条第2項の「一般法律の規定・・・によって、制限される」ではないかとも思われるが・・・.
第5条の[表現の自由]
(1) 何人も、言語、文書および図画をもって、その意見を自由に発表し、および流布し、ならびに一般に入手できる情報源から妨げられることなく知る権利を有する。出版の自由ならびに放送および放映の自由は、保障する。検閲は、行わない。
(2) これらの権利は、一般法律の規定、少年保護のための法律上の規定および個人的名誉権によって、制限される。
[註2] (引用者註) ここでは「極右」という言葉が適切と思う.「右翼」は尊敬すべきところも持った人々に対して使いたい.
2008-04-10 01:10
nice!(0)
コメント(3)
トラックバック(2)
トラックバック 2
逆うらみ??(反戦塾 2008-04-10 13:01)
どこか似ていませんか―― ★日清戦争では朝鮮のみなさんを清の属国から解放した。日露戦争では大勢の日本人の血を流してロシアの満州や北朝鮮支配の野望をくじいた。そ
日本はどんな悪いこ事をしたと言うのか… シャフィー(元マレーシア外務大臣)(愛国心を育てる名言 2008-04-10 08:41)
日本はどんな悪いこ事をしたと言うのか…
この記事のトラックバックURL:






西岡由香さんの新しい作品

9条守ろう! ブロガーズ・リンク


言論の自由の前に、法律を犯してはいけないでしょう。
それと、言論弾圧を受けている映画は「靖国」だけではないけどね。
結局、あなた方は「言論弾圧」にかこつけて、靖国と稲田議員を非難したいだけじゃないの。
論点のすり替えやご都合主義はやめろよ。
もし、リベラルを名乗っているならやめてくれるかな。
真のリベラル派
by 反似非リベラル (2008-04-10 01:52)
現状でも、「名誉毀損」や「公然侮辱」は犯罪であり、言論・表現の自由は無制限ではありません。
>すなわち「攻撃」性がないのだ.
まったく同意です。
しかし、この件は、現在権力を握っている側に有利であると思われるので、ご指摘のようにどう転ぶかわからない要素もはらんでいます。
それに、「有害」の判断は、所詮、主観的なものにならざるを得ないようにも思うのです。
たとえば、スウェーデンではスピルバーグのかの「E.T」が成人指定になっていました。
我々日本人には理解しがたいのですが、「大人を敵視することを教えているから」というのがその理由でした。
ちなみに、私の今の関心は「いかにしてマスコミの世論操作を取り締まるべきか」にあります。
これもなかなか難しい問題です。
>余りに中国寄りで,
欧米のダブルスタンダードを批判することが中国政府に有利にはたらくという側面はあると思います。
しかし、だからといって、それを「中国寄り」と解釈するのは間違いでしょう。(もちろん、言説にウソがあればいけませんが)
それだと、最初からどっちにつくとかを決めず、事柄を個別に判断しようとする立場の人のアプローチを否定することになります。
そもそも、「どっちに寄っているか」という判断は、絶対的な基準を持って行わねばなりません。
相対的な基準で判断しようとすれば、それは座標空間を牛耳っている連中(マスコミ)に操作されてしまう危険性があります。
by Runner (2008-04-10 20:27)
真のリベラル派 くん
あちこちのブログコメント欄にコピペしてるね。
ご苦労なことだね。
by Executor (2008-04-12 14:16)