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「知的暴力」 [社会]

軍事研究や軍学共同の問題を考える上で,ひとつ言葉(新語)を思いついたのでメモしておきたい.それは,軍事研究や兵器研究を「知的暴力」,intellectual violence と呼ぶと言う提案である.
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暴力という言葉は,単に物理的,身体的暴力だけでなく,「構造的暴力」(国際政治学や平和学の用語)や「言葉の暴力」というように,拡張して用いられる.そのリストにこの言葉を加えたらどうかということだ.

兵器研究はその名のとおり一つの研究活動であり,その場で行われている限りの行為は全く知的なものである.その場で直接人を殺傷しているわけではない.しかし兵器研究の目的は新しい兵器の生産や「改良」にあり,その結果作られる兵器の目的はもっぱら人の殺傷である.つまり兵器研究という知的活動のまっすぐ先には人の殺傷,つまり暴力という結果がある.ということは,研究の目的は,間接的とはいえもっぱら暴力の行使ということになる.このような知的活動に名前を付けるとすれば,「知的暴力」というのが最もふさわしいだろう.

兵器研究をこのように名付けることで一つの視野が開ける.社会で公認される暴力は,警察官が所持することが認められた拳銃に象徴されるように,公共の利益を守るためという目的に厳格に制限され,それに適合するように厳格に管理されなければならない.したがって兵器研究を「暴力」の一つと認定することによって,社会はこれを同様に厳格に制限・管理すべきであるという結論が導かれよう.

つまり,憲法九条のもとでは兵器研究は認められず,警察力レベルの武器を対象としたもののみが認められ,しかもその研究は法によって厳格に制限,管理されなければならない.

すべての国の常備軍が廃止されるという目指すべき世界においては(「九条」のグローバル化),兵器研究はもちろん不要になるであろう.過渡的な状態においても,兵器の私的研究や生産は当然禁止されなければならず,国家や国連によって厳格に制限・管理されなければならない.

兵器というにはあまりにも巨大だが,核兵器を開発したアメリカの物理学者が,最初の実験が成功した時に互いに交わした「われわれはこれでみんな悪党になった」(Now we are all sons of bitches)という言葉から,悪事をなしたという罪の意識を彼らが持ったことが分かる(関連記事).

系として,兵器製造・生産は「労働暴力」と名付けることが考えられる.
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「知的暴力」でググると,知識をひけらかし,優位を示して他を威圧するというような意味で出て来るが.これはむしろ「知的ハラスメント」の方がふさわしいだろう.ここで提案したような用例はなさそうだ.つまり新語と思われる.
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