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マルクスの墓 [身辺雑記]

DSC_0057c.jpg(旅行の土産話の続きです.)
ロンドン滞在中に,都心部から北へ5キロほどのところにあるハイゲート墓地に,マルクスの墓を訪ねた.10月3日の暖かい午後だった.地下鉄のアーチウェイ(Archway)という駅で降りて,直線距離で1キロもないのだが,曲がり角を間違えたりするとロスが大きいので,地元の人と思われる50才前後の男性に道を聞いた.すると,「自分もこのあたりはよく知らない」と言いながら,なんと,親切にもスマホを出して調べてくれた.(実は私自身もレンタルのスマホとルーターWiFiとを持っていたのだが,その時まで使っていなかった.)

彼と同じ方向だったので歩きながら話をした.道を尋ねる時,自分の手帳を見ながら通りの名前を言ったので分かったのか,「日本からか?」と訊かれる.「いま自分の国では核戦争の危険がある.とても心配だ」というと,「北朝鮮を静かにさせなければ」という反応.やはりそう来るのか,と思った.「でもトランプも静かにさせないといけない」と応じると,「確かにそうだ」と.応援のクリック歓迎

その人によると,マルクスの「本当の墓」は別のところにあという.「墓」として有名なのは実は記念碑ということらしい.入り口でもらった地図にも,別の場所に“Marx(original)”とある.こちらが「本当の墓」なのか,それとも移転する前の墓ということなのか,よく分からないが,こちらも探してみることにした.

有名な「墓」には,高校生らしい10人ほどのグループが,先生(?)に連れられて来ていた.先生が集合写真を撮った後,自分も含めて撮ってくれ,というのでスマホを渡された.
DSC_0061.jpg“original”の墓の方は見つけにくかったが,なんとか探し当てた.地面に埋め込まれた墓石にマルクスの名前が彫られているが,いくつにも割られていた.実際の墓ならこんな状態で放置されるはずはないだろうから,やはり移転した跡,ということだろう.

折から,今年はロシア革命100周年だが,日本では,テレビはもちろん,新聞でもその関連の記事はわずかのようだ.11月7日のロシアTV(Russia 24)が革命100年を記念しての世界の共産主義者のデモを紹介していた(NHK-BSの,世界のニュースの録画放映による)。いつもは「プーチンチャンネル」といっていいような内容なので驚いた。
russiaTV171107.jpghttps://www.vesti.ru/doc.html?id=2951743&cid=7#
Russia 24のサイトからそれらしいページをキャプチャしたのがこの写真.ロシア共産党のジュガーノフ党首が中央.放送で彼は,次の大統領選に出馬し,いい勝負をするぞ,と言っていた.

ソ連の崩壊から26年経過し,それにともなう「共産主義(社会主義)全否定」の風潮に対しても,人々が相対化して見られるようになりつつあると思う.あるいは,その風潮を経験しない世代が増えている.同時に,資本主義の行き詰まり感も,このところ強まっている.マルクスが新しく甦る日も遠くないだろう.
DSC_0076.jpgグランドピアノの形をした珍しい墓石もあった.Thorntonの文字があるので,このピアノメーカーの関係者の墓と思われる.
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コメント 3

バッジ@ネオ・トロツキスト

レーニンほど酷くはないけど、マルクスにも生存当時の当面の分析の甘さからくる歴史的制約はあったんですね。
例えば、ソ連・東欧の官僚統制経済の遠因にもなったと思われる「オーケストラの指揮者」論とか恐慌革命論の未清算時に立てられた貿易論、「労働に応じた分配」のような初期社会主義社会の予見失敗などなど。

ま、誰でも崇拝しちゃいけないんですw
by バッジ@ネオ・トロツキスト (2017-11-13 09:46) 

バッジ@ネオ・トロツキスト

マルクスって、人類社会の歴史性と構造性を統一的に把握出来る哲学的立場を確立していた(=ヘーゲル国法論批判)のに、そんな彼でも個別問題ではその立場を貫徹出来なかった分野があるんですよね。
だから、現代の課題は、「マルクスの原点に回帰する」というよりも、「マルクスの態度を現代的に徹底する」ということでしょう。

この点で、修正主義と教条主義に明け暮れたアフターマルクス時代(=20世紀)はお粗末だったと思いますね。この両極は、事物の歴史性を構造に内在するものとして把握出来なかった帰結でしょう。人類の歴史は、専ら階級闘争や政治が作り出すものであると政治主義的に誤認して弁証法離れした主意主義に転落したのが20世紀。
「経済的社会構成体の発展を自然史的過程とみる」(『資本論』前文)マルクスの唯物論的社会把握態度を「自動成長論だ!」「自然発生性への拝跪だ!」などと拒否する一方、マルクスの唯物論的な人格陶冶論や変革主体形成論をも等閑視してきた。
ソ連東欧が崩壊しても、中国社会が無様を晒し続けていても、一向に考えてみようとしないんじゃ処置無しです。

史的唯物論でも価値・剰余価値理論でも、情けないほどにマルクスを換骨奪胎して俗流化していたのが20世紀でした。
by バッジ@ネオ・トロツキスト (2017-11-13 13:05) 

バッジ@ネオ・トロツキスト

なお、マルクスが、その「発展を自然史的過程とみ」た経済的社会構成体とは、「上部構造」や人間の意識をも包摂するものです。
つまり、マルクスの社会観とは、経済的土台も政治的・法的諸制度も人間の意識も、自然史的過程をもって発展して行く、というものでした。
この土台-上部構造の関係、上部構造の対土台反映性は、けっして単純で機械論的な能動ー受動関係ではありませんが、それでも上部構造は「究極において」土台を反映せざるを得ないのであり、その「土台」とは20世紀が永らく忘れ去っていた労働のシステムことです。農耕労働だけに立脚した資本主義が無かったように、製造工業だけに立脚する資本主義も存在しません。

だから、現代社会や現代の資本主義を考察する者は、現代資本主義経済がもたらしている労働、労働の社会化の現代的到達段階を良く、鋭く把握しなければならないのです。

現代資本主義は、自らの下に全領域の人間活動を包摂し、賃労働のかたちで全労働の社会化を完成しつつあります。そしてここでは、意図せずして「物質的生産の彼岸に」ある「自由の国」の萌芽を露出させている。
「労働にもとづく分配」段階さえ無意味になる生産の自動化や非物質的生産領域の社会化の拡大を進めています。
社会的必要労働時間の量による価値量の(つまりは使用価値量)の規定という「必然の国」での不可欠・不可避な法則性が死滅しはじめている。「交換価値に立脚する生産の崩壊」(マルクス『要綱』)が、未来社会に起こるのではなく、資本のシステムの内部ですでに萌芽として顔をのぞかせ始めているのが現代社会です。

こういう、現代社会の到達点を、全力を挙げて解明する努力こそが、「世界観的確信」を現代に相応しく再構築し、人類に未来展望を与えることになるのです。主観的な「青写真」の描写とも一線を画す、変革勢力の実践的課題にもなるのです。
それこそが、「科学的社会主義」の不可欠の前提的活動でしょう。

「資本主義の枠内での改革」のような御為ごかしな「現実主義的な言葉」を弄んでいるだけだと、資本主義の自己解体の兆候を読み取ることも出来なくなり、客観的には資本主義の永劫視に手を貸すだけの、実践課題の究明努力の放棄なのです。(例えば、「同一労働同一賃金」原則への賃金課題の矮小化と固執などは、その最たるものでしょう)
by バッジ@ネオ・トロツキスト (2017-11-14 11:13) 

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