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放置される「表現の自由」特別報告の勧告 [メディア・出版・アート]

1170.jpg「週刊金曜日」2月2日号に,昨年6月に出された国連特別報告者デービッド・ケイ氏の報告書を受けてのシンポジウムの記事が出ている.報告書は日本のメディア状況について国連人権理事会に提出されたもので,「メディアの独立性が重大な脅威にさらされている」(同誌引用)と警鐘を鳴らすものだ(1401577.gif報告書原文はこちら).

来日の際,ケイ氏は「生かすも殺すも皆さん次第.この勧告を重視するならば,社会的議論が始まるでしょう」と語った(同誌).しかし半年以上経っても「社会的議論が始ま」っているとは思えない.驚くべきことに,検索語をいろいろ試みても,本文の日本語訳が出てこないのだ.議論の「出発点」にさえ容易には立てない.それどころか,検索でははじめの方には,「反日報告書」と言った類のものが並ぶと言うありさまだ.[1401577.gif見つかりました!メディア総合研究所による暫定訳]

気にかかるのは,この記事の中ほどに,東京新聞の望月記者へのバッシングが(官房長官会見での質問が注目されてから)激しくなっているということだ.「望月記者」が2人になり3人になれば,どうと言うことはないだろう.なぜ未だに彼女に続く記者が − と言っても,記者として極めて常識的な振る舞いいをしているに過ぎないと思うが - なぜ出ないのか?それほどまで腰抜け腑抜けばかりの集まりなのか,それとも,欧米と違ってジャーナリストとしての専門教育を受けていないため(→関連記事),「ムラ」の掟に従うしか能がない,と言うことだろうか?

「自主規制が一番危険」と言うケイ氏の言葉も重く受け止めるべきだ.
報告書本文は英文で19ページとのことなので,さほど大部でもない.然るべきジャーナリスト団体のウェブサイトは,万一未だ日本語訳がないのならすぐに翻訳・アップロードして,簡単にダウンロードできるように,そして検索でも上位に来るように,努力していただきたい.応援のクリック歓迎
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関連リンク
報告書全文(本文中にもリンク)
週プレNEWS :
国連特別報告者・デービッド・ケイ氏に独占直撃! 表現の自由・共謀罪に対する懸念を「生かすか殺すかは日本の皆さんと政府次第」[2017年06月18日]
国連特別報告者・デービッド・ケイ氏を独占直撃!「日本の報道機関は政府からの抑圧をはね返す力が弱い」[2017年06月19日]

Human Rights Now の記事:
The UN Special Rapporteur on Freedom of Expression, David Kaye, releases his report on Japan for the 35th Human Rights Council session
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コメント 3

バッジ@ネオ・トロツキスト

「ムラ社会における忖度の蔓延や批判の自己規制習慣」は、日本の進歩派や左翼にとっても「他山の石」ですねw
鎖国を可能としたシマグニであり、永い間「追い付け型」を基本ともしてきた日本という国を自己分析し論じる必要があります。(というより、避けて通れない)
「自主規制が一番危険」とは、党員や支持者をも戒める言葉でしょう。
by バッジ@ネオ・トロツキスト (2018-02-05 10:41) 

yamamoto

全くおっしゃる通りです.なぜそこの「電線が切れている」のか,全く不思議です.なぜ同じ批判精神を,自分が属する組織自身にも向けないのか.共産党の大会は事実上,経験交流集会になっていて,ほぼ「討論」がない.少なくとも外から見えない.そしてこのことの深刻な意味を意識する党員も少ないようです.
by yamamoto (2018-02-05 11:25) 

 バッジ@ネオ・トロツキスト

>共産党の大会は事実上,経験交流集会になっていて,ほぼ「討論」がない.

支部会議や地区委員会総会などの党内会議も同様ですね。
「討論」が、単なる「経験交流」や「方針実践成果の公表競争」に終わってしまっているんです。批判や異論どころか疑問の提出さえほとんど行われません。

この原因は、日本の共産党が自党の構成員に対して「(既存の方針や理論の)学習」を「指導」することはあっても、自分の頭を使って考えさせる習慣をつけさせなかったことにあるんですね。

70年代頃までの共産党では、何か一大事が起こると、すぐ「党中央は何と言っているか?」をおうむ返しのように問う(つまり、赤旗紙上などでの党中央の見解表明や「解明」を求める)党員たちの態度も有名でした。「民主集中」どころか「幹部依存」、代行主義や中央妄信が骨肉化している(だから、「お手本」などがなく、党中央にいちいちお出ましも願えない職場や地域の特殊問題への対応になると、図式主義や我流、観念論なども横行する・・・・能力不足を露呈してしまう)。

だいたい、20世紀マルクス主義自体もそうだったんですね。
一知半解や修正主義による偏見、デマ・論難を拒絶するがあまり、マルクスやレーニンの叙述や言説を金科玉条化・妄信し切って自分たちの眼やアタマを使うことを軽視してきたのがロシア革命以降の20世紀左翼でした。だからスターリン主義みたいな俗論が蔓延れた(ま、不破のレーニン批判だって、ソ連崩壊以降の「オットリ刀」に過ぎませんし、日本の共産党のソ連論だって「生成期論」のような曖昧なものとしてスタートしたに過ぎないんですよ)。

だから、理論や既存方針と現実社会との齟齬(現実の発展の中で既存の理論や方針が一面化・失効してしまったことの露呈)が感知されても、ちっとも考えてみようとしない。マルクスやレーニンの到達点を贔屓の引き倒し的に墨守し続けるか、さもなくば真の「現実」把握を喪失した現象主義的修正主義に転落してしまう(武力自衛の有効性を現実だと誤信して「自衛隊・安保・核兵器が存在するという現実」に屈伏するだけの、「現実と非現実=幻想の取り違え」)。

ま、かなり重症だと思いますよ。
20世紀が前資本主義的後進国からの社会主義建設の不可能を証明したように、21世紀も文化的後進国での政治変革の困難を証明することでしょうね。
by バッジ@ネオ・トロツキスト (2018-02-06 11:17) 

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