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長崎でのスピーチ「暴政に慣れる社会にしていいのか?」の文字起こし [反核・平和]

6/5内容訂正:講演で「玄海原発からのトリチウム放出が少ない」と言いましたが、誤りでした。以前と同様に放出しています。詳しくは「玄海原発からのトリチウム放出再開」の記事をご覧下さい。
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NAZEN長崎の集会での1時間あまりのスピーチについて、スライドやレジュメを次のブログ記事ですでに紹介しました.
「長崎の脱原発運動の集会で話をしました」
この話を主催者の方で文字起こしをされていたので、以下に転載します。

「暴政に慣れる社会にしていいのか?― 原発,憲法,軍拡,税,国会・・―」
    目次
 1.まず、原発問題から入ります
 リラッキング、乾式貯蔵

 2011年の原発事故の最初の年の佐賀
 稼働した後のトリチウムの放出
 20ミリシーベルトで帰還させる+原発の過密さの指標
 放射能プルームが関東地方をおそった瞬間
 土壌汚染,大気汚染
 「チェルノブイリの10倍の規模の災害になるところだった」
 GMカウンターの音で20ミリシーベルトを体感

2.次に、軍拡問題・9条改憲問題
 南西諸島の軍事要塞化と佐賀空港オスプレイ配備

 海のノモンハン(海の盧溝橋事件)?
 「攻められたらどうするのか」
 防衛省(と軍隊)があるなら侵略防止省を同じ予算と同じ規模で
 「攻められたらどうするのか」への答えがないと「万一の場合には自衛隊を活用」となってしまう
 日本の加害の歴史をほとんど知らない--ドイツとの比較

3.戦争の原動力:軍産学複合体
 アイゼンハワーの軍産複合体演説

 池上彰氏の番組「なぜ世界から戦争がなくならないのか」
 MITリンカーン研究所の資金
 言葉の言い換えの問題--「知的暴力」

4.「民主主義」成立の条件
 選挙だけに集中すればいいか?
 エンパワーメントという要素
 逮捕の問題
 ネット空間の限界

5.文化の問題
 一揆の歴史

 「アイヒマン」からの脱却

「暴政に慣れる社会にしていいのか?― 原発,憲法,軍拡,税,国会・・―」

               豊島耕一(元佐賀大学教授)講演 文字起こし
               2019年2月17日NAZENナガサキ7周年記念集会にて

元佐賀大学の豊島と申します。物理を教えておりました。5年ぐらい前に退職しております。住んでるところは久留米なんですけれども、佐賀大でのつながりで佐賀の反原発運動とのつながりが強いので、週一回の金曜日行動に行ったりなどかかわりをもっています。今日は、原発問題から始まって、私の専門から離れるような話もさせてもらうことになりました。

次から次にスキャンダル、とんでもない話が出てきて、そのひとつだけでも内閣総辞職になってもおかしくない、ということが次から次に起こっているわけですけれども、それでもまだ続いている。これが平常になってしまう、というのが恐ろしいということで、講演のタイトルを『暴政に慣れる社会にしていいのか?』にしました。

1.まず、原発問題から入ります。
玄海原発の最近の話題としては、使用済み燃料保管量を増やすということがあります。リラッキング(すし詰め)であるとか、乾式貯蔵とか出てきています。これは結局のところ、その貯蔵量を考えてみると、3号機4号機が寿命を迎えるまで、全部使い切るまで、出てくる使用済み燃料を十分貯蔵できるようになっているんですね。40年寿命を考えると3号機は2034年、4号機は2037年です。これは六カ所村の事業所が動かないということを見越して永久保存をすると、そうなってもしょうがないよというメッセージでもあるわけです。確かに乾式貯蔵という、より安全な方法が必要になるかも知れませんけれども、原発を動かすことを前提にした貯蔵量拡大というのはとんでもない話だと思います。さらに今回の九電の文書にはMOX燃料という言葉が一言も出てこない。MOX燃料というのがどういうものかというと、ウラン燃料と比べると最初のころは2倍くらい放射能が大きい、発熱量も2倍強ある、1000年後になりますと発熱量はウラン燃料の10倍ということなんですね。これだけ問題のあるMOX燃料について一言も触れていないということはたいへん問題だと思います。特にリラッキングと称するぎゅうぎゅう詰め、これは安全余裕を切り縮めるわけですね。使用済み燃料といっても燃え残りのウラン、プルトニウムがいっぱい残っているわけですね。ですからへたをするとそこで原子炉が再起動する(再臨界)、何らかの原因で、たとえば地震で壊れて燃料が固まるとそこで原子炉がスタートするわけですね。いったん原子炉で核分裂連鎖反応が起こった日にはここに付いている冷却装置ではとても追いつかないから、大変な惨事になることが予想されます。

さて、2011年の原発事故の最初の年は、(佐賀は)一番先に狙われたのですが、再稼働を阻止することができました。これは菅直人首相の「ストレステスト」発言とか、あるいはいわゆるやらせメール事件が発覚したこともあって・・・。私たちも当時の古川知事を相手にいろいろと申し入れをしたんですけれども。申し入れしたことが知事にどう伝わったのか聞いていたら、「メールで伝えました」とかメールでしかやりとりしていないと担当者が言うものですから、怒った一同は知事の部屋に押しかけたんですけれども、知事は逃げて帰ったわけですが、数日後、私たちが回答を求めて行くと、職員が人間バリケードを作って私たちを通さないということがありました。さすがに今の知事はそういうことをしませんけれども、柔らかくはなったんですけれども、それは形だけでやってることは同じと言わざるをえないんです。

佐賀県が勝手に再稼働を決めたので私は腹が立って、私は福岡県民なので、佐賀で勝手にやるならやってもいいけども、県境に壁を作ってくれ、天井をつけてくれと、もちろん建設費用は佐賀県でもつようにという(イラストで)悪ふざけもやったんですけども。

金曜行動をはじめたころですが、山本太郎さんが駆けつけてくれて、彼のスピーチのうまさに感心しました。見事なものでしたね。

それから、稼働した後のトリチウムの放出がどうなっているかを調べたんですけど、公表してあるんですけど、川内原発では前と同じように出ています。トリチウムというのは水素なんですね、放射線を出す水素。酸素と結びついて水になる、つまり放射線を出す水になるんです。水ですから簡単に生物の体の中に入るんです。そして内部被曝を引き起こす。だからとても危険なものなんですけれども。じゃあこれが素人で測れるかと、市民測定室で測れるかというと、これは無理なんですね。トリチウムというのはガンマ線を出さないので測るためにはとても大変な仕掛けが必要です。そういうものですが、生物には有害であると。

それが川内原発で出ているんですけれども、つい最近気づいたんですけれども、玄海原発は動いてるにもかかわらずトリチウムをほとんど出していないですね。確かに玄海原発も出している。しかし圧倒的に少ない。前の100分の1なんですね。ただこれは液体トリチウムですね。だから気体として、水蒸気として出している分がどうかということはわかりません。それは発表していないんです。少なくとも液体トリチウムに関しては玄海原発では昔に比べると安心できる水準であると言えるかと思います。[この部分は誤り。冒頭を参照下さい]

次に福島原発事故の問題です。20ミリシーベルトで帰還させるとかとんでもないことになっているんですけども、チェルノブイリ事故の後のウクライナと違う・・・。その背景には実はこういうことがあるわけなんです。日本の原発がいかにも過密であると、過密さの指標として30年前に提案しているんですけども、事故の確率と被災者数ということですが、事故の確率はどこでも共通としておきましょう。そして被災者数(の確率論でいう期待値)は、原発の総出力かける人口密度ということになるわけです。すると原発大国フランスの2倍、アメリカの4倍くらい、ロシアに比べたらとんでもないですね。つまりこれはどういう資料かというと、原発の大事故に関して損害賠償の責任保険があったとします、原発会社が払うその保険料と考えたらいいですね。つまり災害を起こして被害を与えるリスクということですけども、たとえ原発をやるにしてもとんでもない原発やり過ぎだということです。

1989年これは物理学会の小さなサークルの中で発表したんですけれども。2005年九電の原発シンポでこのスライドを映したんです。だれにも注目されずにいたんですけれども、ついおとといですね、北海道の方が「3・11直後に書かれたブログで、こんなわかりやすい説明を見たの初めてだ」と評価してくれて嬉しかったんですけれども、8年目にして認められた(ていた)ということ(が分かった)ですけれども。

いかにも被災者が多いわけですね、日本の場合は。ですから避難させるわけにも行かない。福島県民全員を避難させるとしても大変なことですよね。もっと言えば東京だって、関東圏だって汚染地域なので、少なくとも若い人は避難した方がいいという状況なんですけれども、そういうことになると避難によるストレスでそちらの方のリスクが大きい、結局どっちかということになってしまうわけですね。そういうとんでもない状況がおきてしまって残念だと思います。

福島原発事故の話を続けます。事故の直後の放射能プルームが関東地方をおそった瞬間です。米軍の横須賀基地にモリタニングポストがありまして、線量が常時ネットで公開されていました。これを見てびっくりして東京の姪や甥にメールを送ったりしました。このときにたくさん避難していれば相当被曝量は防げたと思います。しかしそれほど避難されてませんですよね。この翌日だったかな?福岡のローカルテレビ局に出てしゃべることになったんですけれども、(局スタッフは)ものすごい緊張ぶりで、何をしゃべっていいか、必死で話してるわけですね。スタッフにこの絵を見せたんですけれども、結局放送では発表されなかった。非常に情報が制限される状況にメディアはありました。

次は土壌汚染。これは文科省の発表です。関東一円とくに群馬県の北部がひどいですね。東京都、千葉県もありますね。土壌汚染ですからそんなに簡単には消えません。今も続いているということです。県境で新潟など真っ白になっていますけど、もちろんそんなことないわけで県境を越えたマップも必要なんでしょうが発表されていません。

次に大気汚染。群馬県の高崎に放射能探知所があります。核実験禁止条約ができて、それを守っているかどうかを確かめるために世界的なネットワークがあります。日本には高崎と沖縄にあります。高崎の探知所が3・11以後頻繁にデーターを発表しています。いました、今はやめています。それを私はチェックしてグラフにしました。これが3.11直後のピークですね。それ以前はどうだったかというと、広島県の環境保存データというのがありまして、セシウムのデータがあったんですね。それによると大気圏内核実験が盛んに行われていた1960年代はけっこうなレベルにあったんです。それがせっかく下がる傾向にあったのが、ここでバンと平常時の1億倍の大気中の放射能の濃度ということになったんですね。関東圏でそれだけの放射能の大気のチリを呼吸したわけです。

実をいいますとここで東京電力の計画停電というのがあって、そのあおりをこの観測所も受けてます。一番高いときはデータがないです。だからもっと上だったかもしれないですね。現在もまだまだ戻ってない。私はこの(年の)10月に福島に行きまして、福島でしゃべる機会があったんです。24時間福島の大気中のチリを集めて測定しました。急ごしらえの装置で、自動車のエアフィルターです。これにファンをつけてバッテリーで動かす。飛行機にはバッテリーだけが持込めませんでした、液体が入ってるということで。しょうがないので秋葉原に走って、やはりすごいですね、同じものが見つかりました。こんなもので取ったデータは普通は学術論文で発表できるものじゃないですけど、他に手段がないので・・・。急遽学内誌に出しました。セシウム134が613マイクロベクレル/m^3、セシウム137が829マイクロベクレル/m^3。

だいたい(高崎の)グラフと合っていますが、さすが福島市で、高崎よりちょっと高いです。そういう状況だということを知って私自身も驚きました。今現在どのレベルにあるかということは、高崎が発表しなくなったのでわかりません。「Qベク」と言う福岡の民間測定室が測ろうと努力はしてます。

亡くなった当時の吉田所長が「チェルノブイリの10倍の規模の災害になるところだった」(2013/7/9報道ステーション)と言ってます。チェルノブイリの地図を重ねると、九州が今の福島市ぐらいの汚染になるわけです。ひとたび大事故が起きればこのようになりかねないということですね。福島原発事故では現場のいろんな努力があったんだろうと思いますけど、そのおかげでそこまで行かなかったのは、ほんとうに不幸中の幸いでした。

20ミリシーベルト問題ですけど、国連の特別報告者が昨年批判していますが、報道が少ない。20ミリシーベルトがどんなものかというのがなかなか実感としてもてないというのが普通だと思うので音で感じてください。これは通常のレベルです。次に20ミリ。福島県で高校野球の予選があったんですけどそこのレベルがそれくらいです。【GMカウンターの音で20ミリシーベルトを体感。すごい音】ユーチューブに上げております。「直ちに健康に影響はない」とよく言われましたけど、このような音がするところで暮らしたいですか!ということです。福島原発事故は続いています。皆さんの取り組みに敬意を表したいと思います。
 
2.さて次に、軍拡問題・9条改憲問題

現在問題になっているのは、南西諸島に大量に自衛隊の基地を作る、そして大量の自衛隊を配備しようとしている、ということがあります。これは佐賀が焦点になっている、佐賀空港がオスプレイ配備され軍事基地化されようとしている。その時に地権者説明会で配られた防衛相のパンフレットからとったものです。このようにあからさまな戦争の絵が配られてるんですね。恐るべきことです。つまり日本版海兵隊を作って島嶼奪回作戦をやるんだということで、あからさまな戦争計画です。安全問題もさることながら、おおいに警告を発する必要があると思います。「世界」最新号(2019年3月号)が南西諸島の軍事化問題を特集しています。どれだけ自衛隊の増強配備計画が進んでいるかを示しています。ミサイルの配備とか。最近問題になっている馬毛島に飛行場を作るということですね。それから宮古島、奄美大島にミサイル基地を作るなど。これだけ中国封じ込めといいますか、悪(玉)を作るということをどんどん進めているわけです。ところがほとんど報道がないですね。ですから国民がほとんど知らないで進んでいるというのが実態です。これは平和運動がもっともっと注目せないけないと思うんですけれども。

私が想像するにですね。ここでやってる、「海のノモンハン」と書いていますけれども、どこかで中国との衝突を演出すると、先に中国がやったんだろうということにして、誰も見てないんですから、マスコミが一斉に流せば、頭に血が上りますから、そしたら国民投票もあっという間ですね。おそらくそういうことをねらっていると思います。ここはもっともと警戒しなければいけないんじゃないかと思います。

この問題を論ずるときに必ず論議されるのが、「攻められたらどうするんだ」ということですね。確かに中国も軍備増強しているわけですから、「攻められたらどうするんだ」「北朝鮮からミサイル打ち込まれたらどうするんだ」とか、それに対する答えを準備しておかなくてはと思うんですけれども。それについての私なりの答えは、ここで使っている数学は高等学校の数式でありまして、たぶん次のセンター試験で出るんじゃないかと思うんですけれども、これはいくつかの国があったときに他国から攻められる確率と、自分が他国を攻めてしまう確率はどうなんですかという確率論的な問題です。ピンとくる方は、同じだと思うんですが、直感的に回りに国がたくさんあって自分の国はひとつしかないから攻められる確率が多いんじゃないかと錯覚しがちなんですけれども、それは、ある朝目が覚めたときにどこかの国と戦争している、純粋に確率論的に考えた場合ですよ、相手が攻めた場合、自分が攻めた場合、ヒフティヒフティということはわかるんですけれども、それをわざわざ難しい確率の数式に仕上げたものです。

つまりどういうこと言いたいかというと、国防国防と皆さん言うわけですね、防衛しろ、防衛しろと、防衛が大事だと。ところがもう一つ50パーセントの確率で自分のところが他国を攻めるという確率、それを防ぐ、つまり侵略を予防するということを、少なくとも軍隊をもってる国はそれを心配しなくちゃいけないはずなんです。だから防衛相があるなら侵略防止省を同じ予算と同じ規模で作らなくてはいけない、ところが誰もそんなこと考えないですね。そこを気づかなくちゃいけない。そこを気づくことが大事だということを言いたいわけです。それがひとつ。それぞれ50パーセントの確率であるんですから、単純に数学的に言えば。

50パーセントの確率で攻められるかも知れない、それは仕方ないと言うしかないですね。天災を人間の力で負傷者ゼロにできるかと言えばそんなことできない。世の中できないこと、不可能ということはあるわけでしょうね。その場合に武力で抵抗したらどうなるか。相手が思いとどまることもありうる。しかし武力で抵抗したために双方に多数の死傷者が出るということになる、ということがより起こりうる、そんなこと考えれば抵抗しない方がましである、ということですね。実際に武力抵抗せずに最終的に独立を勝ち取った例は世界史にいくらでもあるわけです。チェコがそうですし、バルト三国ですね。そういうやり方を「代替防衛」と言いますけれども、非暴力抵抗という考え方ありますね。憲法学で有名な伊藤真氏が言っています、非暴力抵抗による国家防衛が大事だと。

ただ非武装中立だけ言ってもですね、攻められたらどうするのだ、と言うのに、「そんなことありません」じゃ答えになってません。それに対する正面からの答えを準備しておかなければなりません。そうしないと結局は、万一の場合には自衛隊を活用ということになって行くんですね。それは自衛隊を合理化することになります。そういうところに陥らないようにするために必要です。とくに専守防衛ならいいじゃないかと論点がどんどんずれてきていますから、とんでもない話であって、非暴力・非武装(が大事)。自衛隊は憲法違反であると言うと安倍総理に味方するような風潮になりかねないですけど、とんでもない話であって、違憲であるからこそなくさなくてはいけないということを言っていかないとどんどん論点がずれてしまって、専守防衛ならいいのか、攻撃力まで持つのかと。一週間ぐらい前に毎日の「記者の目」という記事がありましてですね、「敵基地攻撃について議論すべきだ」と書いてるんですね。そんな議論の中に入っているわけです。とんでもない話なんで、原理原則に基づいて「9条原理主義」に戻すという努力をしないと、ますます相手のアジェンダ(テーマ設定)に入ってしまうとということがありますので、そこはぜひ注意していきたいものだと思います。

もう一つ重要なことは、ヒフティヒフティだと言ったんですが、日本に関する限りは、元寇は別として、日本が侵略した方がはるかに被害が大きいわけですよね。中国大陸に対する侵略、アジア太平洋に対する侵略。ところが日本の加害の歴史ということをほとんど知らない、歴史改竄がされてしまって、そこを何とかしなければならないということです。年末年始にドイツ、フランス、イギリスに遊びに行ってきました。ベルリンに行ったときに「テロのトポグラフィー」という展示施設がありましてそこに行きました。テロとはナチス、トポグラフィーとは地勢学、つまり人間関係の「地勢学」。ナチス第三帝国の様々な悪行を写真で展示してある、どうしてこういうことになったか、いきさつも展示してありました。確かに立派だなあと思いましたが、しかしそんなところに見に行く人があるんだろうか、と疑問を持っていったんですけど、けっこう多いんですね。

その中の展示のひとつとして、たくさんの人がハイルヒトラーと手を上げている中で、一人だけそれに従わない、不服従の人がいたというエピソードが写真にして展示してありました。大変強い印象を受けました。来場者が多いけれども、ドイツ人はどれくらい来ているか受付の人に聞いてみました。統計は取っていないけれども3割4割かな?と係の人はちょっと顔を曇らせながら言ってましたけれども。それにしても日本の場合とは大違いですね。日本の場合は公的施設はないですよね。長崎には岡まさはる平和記念館というのがありますがね。

3.戦争の原動力:軍産学複合体

結局戦争を引き起こしているのは、一番大きな要因になっているのは軍産学複合体だと思うんですよね。有名なアイゼンハワーの軍産複合体演説なんですが、軍産複合体勢力が不当な権力を握ってしまうということに警告を発したわけです。全くそれが当たってしまっているわけです。アイゼンハワー自身がこれを作った張本人ですけど、さすがに辞めるときにやっと気づいたということですけれども。それが延々と続いてるわけです。それと私が指摘したいのは、軍産だけじゃないんですね、アイゼンハワーが言っているのは。軍産学なんですね。科学技術エリートが支配することになっていると、いうことに対する警告も発していて、それが今日の日本の状況にも反映していると思います。原爆もしかりですね。そして、大学がだんだん兵糧攻めにされて結局防衛省からの資金に頼らざるをえない、そうして軍事研究に手を染めていくことになりかねない非常に危険な状況になっておりますので非常に要注意だと思います。私が属しています物理学会は軍隊との関係を持たないという決議をしてそれを学会講演申し込みの公告の冒頭に掲げていましたけれども、今は表示されてない。撤廃はしてないんですけど、今こそ必要だと思うんですけどね。

3年前かな、池上彰氏の「なぜ世界から戦争がなくならないのか」という2時間枠の番組があったんですけど。とても素晴らしい番組でした。デイリー・モーションで見られます。この(軍産複合体が戦争の原動力という)本質を過不足なく明らかにしていました。日本の場合もどういう企業が死の商人としての役割を果たしているか、ということを暴露していました。フジテレビなんですけどね。

アメリカの話に戻りますが、リンカーン研究所(1951年にマサチューセッツ工科大学とアメリカ国防総省の出資で設立した研究所)がいかに軍に依存しているかということです。これは2016年、2017年の歳入です。空軍、海軍、DARPA、ミサイル防衛機構、などほとんどの軍関係からもらってます。この研究所がどこに位置しているかというと、空軍基地の一角にあるんですね。このように全部ではないにせよアメリカのトップ大学というのは軍と密接な関係にあるということです。このように日本がならないようにしなければならないと思うんですけど。軍産学複合体の実態を詳細に明らかにした本が出版されているんで、翻訳は終わったんですけど何とか出版したいと考えています。

軍事行動には言葉の言い換えでごまかすということがあるんですね。かつてオウムは殺人を「ポア」といいましたね。それでごまかした。それと同じようなことを我々日常的にやっているわけです。戦争これは工業的殺人である。軍事基地というのは殺人工業地帯である。軍事行動というのは殺人前提の集団行動である。一見恐ろしい言葉を言い換えて、良心の抵抗をなくそうとするわけですよね、人間は。軍事研究に戻りますと、戦争実行兵器の開発のための研究はあくまでも高性能の兵器を作る、つまりその兵器がねらっているのは人の命ですから、兵器の研究の最終的目標は殺人なんですね。ですからオフィスでやってることは暴力でもなんでもない純粋に知的活動には違いない。しかしその目的は詰まるところは殺人である。ということで、戦争実行・兵器開発のための研究は「知的暴力」あるいは「知の暴力」と呼ぶべきではないのか?そういう言葉を提唱したいと思います。ネットで検索すると別の意味が出てきます。兵器生産の労働は「労働暴力」という言葉がふさわしいんじゃないか。ということでラベル貼り替えによる欺瞞を引っぱがしていくことが大事なことではないかと思います。

第一作目のゴジラ、ほとんどの方見てると思いますが、あそこに出てくる芹沢博士はどういう運命になったかご存じの方?ゴジラをやっつけるオキシジェンデストロイヤーを開発しゴジラを退治した芹沢博士は、その後ゴジラと運命をともにしました。結局これは軍事転用されると、書類は全部燃やした、しかし自分の頭の中に全部残ってる、それが残っている限り軍事転用されるということで自ら命を絶つんです。実はものすごい反戦・非戦のメッセージが込められていたんです。

4.「民主主義」成立の条件について

確かに私たちの社会は選挙によって政府をつくるという民主主義が前提になっていますが、実はそれが機能しないのですね。付録のアルバート・アインシュタインとマイケル・ランドルを見ていただきたい。アインシュタイン「何故社会主義か」から引用します。

「私的資本は集約されて、寡占状態に向かう。それは一つには資本家の間の競争により、また一つには技術的な発展と分業の増大が、小企業を犠牲にしながら……民主的に組織された政治的な環境においても(独占資本を)うまくチェックすることができなくなる。立法員の議員は政党が選択するが、その政党は私的資本から財政的その他の援助・影響を受けていて、一方私的資本には選挙民を立法員からなるべく隔離しておこうと考える実際的な理由がある。その結果、市民の代表は特権を持っていない人々の利益を十分には守らない。さらに現在の状況では、私的資本が主要な情報源(新聞・ラジオ・教育—今で言えば、新聞・テレビ・教育・インターネット)を直接・間接に操るということが不可避である。その結果、個々の市民が客観的な結論に達して、政治的な権利をうまく使うということは非常に難しく、多くの場合に全く不可能である。」
ということを見通してるんですね。これは1949年。

それからマイケル・ランドル「市民的抵抗」から引用します。これは2003年。
「この二つ(無関心と無力感)はおそらく他のどんなことにも増して市民的自由や政治への真の参加への重大な脅威を表しているだろう。それらは、民主的形態が残ってはいても、実質を剥がされているという状況をもたらしうる。選挙民は、自治の過程への積極的参加者というより、政府や大衆政党によってこねられ、操作された粘土のような存在になる。国家もまた、監視力豊かな市民社会の積極的参加が欠如していると、行き過ぎたことをしがちになる。」
ということを指摘しています。つまり形ばかりの民主主義では民主主義は成り立たないということですね。特に今のようなメディア状況では。それを私なりに図にしてみました。

暴政に慣れる社会にしていいのか?main.pages_ページ_33.jpg私たち労働者市民が資本家の下で働きます。賃金はもらいます。政府に税金を払います。財貨が資本と政府に蓄えられ、その資本によって政府は買収され、メディアも買収され、政府はメディアを支配し、あるいは教育機関を支配し、メディアは我々に重要な情報は隠蔽し、プロパガンダを行う、いろんな雑音を流す。教育機関は我々子どもたちに対しておとなしくしなさいということを教育する、ということです。エネルギー源はお金です。それによってこういうサイクルが回る。ポジティブ・フィードバックというのは出力が入力にまわり込んでもう一回出力になる、それをくり返す、わかりやすい例はマイクのハウリングです。このマイクをスピーカーに近づけると、スピーカーからの音がマイクに入ってそれがアンプで増幅されてまたマイクに入る。そうなるととんでもない音になりますね。これをポジティブ・フィードバックと言います。その状態で固定されてしまってどうにもならない。スイッチを切るか、マイクを遠ざけるかしなければならない。そういう状態に陥ってしまっているわけですね。

ですから、確かに選挙は重要である。間違いなく。しかし選挙だけに集中すればいいかというと決してそういうことはない。つまり報道機関が報道しないんだったら、無理矢理報道するようなことをしなければいけない。国会前にも数日前多くの人が集まったようですけど全く報道しない。報道するようするためには、つまりフランスでやってるような黄色いベストのような、実際に実生活に影響があるようなことをやらないと報道しない。そうすることによってマイケル・ランドルが言ってるところのエンパワーメント、「たとえ成功しなくとも、また部分的にしか成功しない場合でも、集団行動をとる集団内に発生する団結した力は個人や集団の自信と自尊心を増進」 する。わかりやすい話が 1000人で行進して大通りを占拠した、交通が1時間ストップしたと、という一つの達成感ですね。エンパワーメントという要素は非常に大事だということを言っております。そういう要素を日本の市民運動は無視しているというか、なかなかそれができない状態にあるわけですね。それが逮捕の問題です。

ビッグニュースの事例では、ゴーン会長がもう一ヶ月以上ですか勾留されている。彼がやったことは別として、だからといって、未決というか、疑わしきは罰せず、無罪推定であるにもかかわらず、実質禁固刑ですね、あれは。禁固刑を科しているということでいいのか、フランスの「ル・モンド」が批判してましたけれども、このようなことに対してあまりにも鈍感すぎる。「ゴーンだからいいだろう」と。そんなことはとんでもない。そんなところから権利というものは削られていくわけですから。

その前は籠池さん、これはなんと1年間も拘留されるというとんでもないことがあった。つい先日は150円のコーヒーで20日間ですか(実際は10日間のよう)。とんでもないことが起こっているわけですね。だから我々が非暴力の市民的抵抗をやろうと思ってもとんでもない覚悟がいると、これを何とかしなくてはいけない。ちゃんと欧米並みに一晩で帰って来れるようにしなくてはいけない。これはとても大事なことであります。市民の実力行使の例としては、日本でも、大飯原発再稼働阻止での道路封鎖、戦争法国会での公聴会阻止の横浜での座り込みの例があります。道路がかなりの時間封鎖されました。これは結構報道されました。逮捕者は出ていません。沖縄でも座り込みが行われていますが、逮捕者はほとんど出ないと言う状況にあるんですが、しかし一旦逮捕されると1週間、十日となってしまうんですね。これをなんとかしなければいけないと思います。

ヨーロッパではそういう直接行動はごく普通のことで、これは、今話題になっている中距離核、その配備反対運動で、ドイツでなんと裁判所の判事たちが封鎖したんですね。で、逮捕されて、同僚の裁判官によって裁かれたのですが、全員無罪になりました。私が経験した例では、2007年にイギリスの核兵器基地ファスレーンを世界市民が交代で封鎖しましょうということで、日本も呼びかけられて、唯一の(戦争)被爆国と言いながら、日本は「欠席」しますとは言えないでしょうと、応募しました。この場合、逮捕されますが一晩で帰れることは明らかだったので、「留置場一泊付きの海外旅行というのはどこもやってないでしょう」と呼びかけましたが、なかなか信じてもらえなくて・・・。

これ(スライド)は学者による封鎖、つまりゲートの前でセミナーをやろうということです。その演習をやっているところです。この右側の方が先ほど出てきたマイケル・ランドル氏です。これには学生も参加していました。この時は警察は手を出しませんでした。この写真は朝日新聞に掲載されました。この数ヶ月後には日本チームの封鎖となりました。このように折り鶴で封鎖したり、孟宗竹の中で互いに手をカラビナでつなぎます。こうすると警察は、ファイバー・スコープで見ながら横から徐々に切り開くしかない。それで相当時間が稼げます。ギャラリーとして現地の人たちが見守ってくれています。別の日には彼らが封鎖をします。そのようにして交代しながらやります。ですから沖縄・辺野古の座り込みも国際化すればいい、とくに一番責任があるアメリカから来てもらって交代で封鎖する。普天間も・・・・そういうことを前から提案しています。

「ハンマーセッション」というテレビドラマがあったのをご存知でしょうか。これは熱血教師物語で、自分自身が逮捕されるということを教材にするという非常に風変わりな結びのドラマです。これを真似た訳ではありませんが、私も科学と社会といったテーマの授業を大学院でやっていまして(実際の授業名は「科学と文化」)、その中で私の逮捕シーン(スライド)も使わせてもらいました(かなり爆笑)。

非暴力ということが大事で、相手が暴力でやってきても徹底して非暴力で応対すると、そのことで相手は自分の暴力に気づいて自分自身とまどう、そういうことを「道徳的柔術」と言うそうで、日本ではあまり知られてないけど外国ではよく知られているんですね。柔術、柔道というのは力で投げるのではなくて相手の力を利用して転ばせる、ということのようです。そのように、自分自身の不道徳さによって転ぶ、そういうことを「道徳的柔術」と言います。これが大事だと。

私たちはいろんなところでPR活動をやるわけですが、ネット空間は限界があるわけです。その例えとして、リンゴの二つの虫食い穴というのがあります。二匹の虫は互いに嫌いなので絶対に互いに交わらない。ネットも同じで、われわれ左翼系、リベラル系のホームページ同士では繋がっていたりしますが、われわれは「保守的な」ページにはあまり入らないでしょう?同じように「保守的な」人も絶対左翼のページには入って来ないわけですから、お互い別の空間で生きているわけですね。それを破るのはやはり実空間しかないわけです。みなさん努力されているようなポスティング、リーフレッティング、実空間でビラをまくというのが決定的に重要で、それによって通路を作っていくということがとても大事だと思います。

5.文化の問題

非暴力直接行動が日本で阻害される要因として文化の問題があると思います。日本人はおとなしいと思いこまされているところがある。だから、「過激」なことをやっても支持が得られないとか。しかし歴史を振り返ってみると、そんなことはないようです。「スーパー日本史」からのコピーです。江戸時代の一揆、唐津の虹の松原一揆であったり、私のホームタウンでも1754年の「久留米藩大一揆」というのがあります。これは、今で言えば減税(要求)ですね。当時で参加者数5万です。それだけの大規模な一揆が起きている。また虹ノ松原一揆は完全な非暴力による一揆です。宝暦一揆はフランス革命の35年前になりますね。日本人にはこれだけのパワーがあったわけです。江戸時代の百姓一揆は約3200件も起こっていると言われています。

問題はこういう歴史を芸術家が作品にしてないということですね。一揆を取材にしたものはほとんど見たことがないですね。水戸黄門ドラマの弊害というのは大きいと思います。水戸黄門は、お上の別働隊で、お上に従っておけば、何とかなる、というイデオロギー洗脳を何十年も、未だに衛星で武田鉄矢主演でやっている、この文化的な影響力は絶大なものと私は思います。批判がほとんどないでしょ。あれを徹底的に叩かなければいけないと言っているのは物理屋の私ぐらいのものです。こういう文化的な問題は非常に大きいと思います。

「アイヒマン」【ホロコーストの責任者】からの脱却。アイヒマンの問題で明らかになったのは、彼は官僚として自分の職務を忠実にこなしただけであるという事実なんですね。何も悪意を持って人を殺めたわけじゃない、単に事務作業をしただけだというけれど、そのことが問題だということであります。

組織には良心は存在しないわけですね。良心というのは個人の心の中にしか存在しないわけですから、個人の良心を発動させるメカニズムをちゃんと作っておかなければならない。そういうことが最近の科学・技術者倫理の教科書にも載るようになりました。組織上の不服従という言葉があるんです。

「技術者には、軍事関連プロジェクトや環境に悪意のあるプロジェクトに対しては、不参加による不服従があり得る。」「不参加による不服従は、専門職の倫理又は個人の倫理を根拠とすることができる。」「技術者は自分が安全でないと思う製品の設計を拒否する場合に,その根拠を公衆の安全,健康,および福利を優先するよう要求している専門職規程に置くことができる。」

少し戻りまして上の方には、「技術者には,軍事関連プロジェクトや環境に悪影響のあるプロジェクトに対しては,不参加による不服従があり得る」とあります。最後の方には、「組織体は、可能であれば良心を根拠とする要請は、尊重すべきと考える。」

次が重要です。「使用者は従業員に、仕事を失うか、さもなければ良心に反するかの二者択一を迫るべきではない。」 (『科学技術者の倫理』)つまり個人の良心を理由に仕事をしなかった場合に、首にしちゃいけない、ということが書かれているんですね。

こういうことが一般的な常識になれば、例えば辺野古の埋め立てをやってる大成建設の従業員が仕事を拒否するということも頻繁に起こってくるわけですね。今日の巨大な悪というのは組織がやっているわけですから、組織の巨大な悪を止めるひとつの重要な鍵になるのではないかと思います。その意味で教育の持つ力は大きいと思います。
以上です。ご清聴ありがとうございました。
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